鹿児島県 / AREA GUIDE
照国神社から海辺の公園や水族館へ。城山周辺と鹿児島中心部の歴史・景観を組み合わせられます。
写真や説明を読み、気になる場所を選んでみましょう。
中心から約2.5kmを目安にした周辺検索エリアです。正式な地域境界や徒歩圏を示すものではありません。
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自然
城山町の歴史と文化の道沿いにある公園。鹿児島市の保存樹に指定されたクロガネモチがあり、幹回り約4.85メートル、推定樹齢約180年とされる。照国神社や鶴丸城跡に近い市街地で、古木の緑を眺めながら歴史散策の途中に休める。
参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)
歴史・文化
近代の木版画家・橋口五葉が生まれた地を示す碑。1880年に鹿児島に生まれ、女性像などの繊細な版画で「大正の歌麿」と呼ばれた。天文館から加治屋町に点在する芸術家・学者の誕生地を結ぶ史跡の一つ。
鹿児島出身の政治家・牧野伸顕の誕生地を示す碑。牧野は1861年に大久保利通の二男として生まれ、後に外交官や宮内大臣などを務めた。加治屋町一帯に残る大久保家や西郷家の史跡とともに、明治政府を担った人々のつながりを伝える。
玉江公園は、鹿児島市玉江地区にある街区公園。国土交通省の都市公園データを用いた地図ナビによると、面積1,493平方メートル、開設年度1997年。明和・永吉周辺の住宅地から徒歩で利用でき、子どもが遊んだり、散歩の途中に立ち寄ったりする身近な公園として整備されている。
生教大安寺は、鹿児島市上之園町にある寺院・宗教法人。宗旨宗派を問わない永代供養にも関わり、事業者の案内では谷山の納骨施設「光想庭」の宗教儀礼と供養を担うと説明されている。上之園町の寺院は市街地の信仰の場であり、地域に根ざした供養活動を続けている。
甲南公園は鹿児島市荒田小学校の校区内にある公園。学校の地域紹介では、甲突川沿いの緑地、気象台公園、荒田公園、ルンビニ公園とともに、子どもたちの安全な遊び場であり、住民の憩いの場とされる。甲南中学校や鹿児島女子短期大学などがある地区で、街中の緑をつなぐ公園の一つである。
甲突川右岸に沿う緑地の河口寄りの区間。対岸の歴史散策路とともに川辺の歩行空間を形づくり、橋や水辺の景観を眺めながら市街地を歩ける。 位置は北緯31.5786度、東経130.5569度付近。現地では周囲の道路や橋を目印に訪れたい。
参考資料:甲突川右岸緑地に関する公開資料(資料をもとに当サイトが作成)
甲突川右岸の高麗橋周辺に続く河畔緑地。対岸には歴史散策路「維新ふるさとの道」が整備され、加治屋町の史跡や橋を見ながら水辺を歩ける。 位置は北緯31.5837度、東経130.5487度付近。現地では周囲の道路や橋を目印に訪れたい。
甲突川右岸に続く河畔緑地の一部。対岸の歴史散策路や周辺の橋とともに川沿いの歩行空間をつくり、街なかで水辺の景色を眺められる。 位置は北緯31.5809度、東経130.5532度付近。現地では周囲の道路や橋を目印に訪れたい。
甲突川左岸に沿って続く河畔緑地。近くには西郷隆盛の誕生地や「維新ふるさとの道」があり、橋や河岸を眺めながら明治維新ゆかりの場所を歩ける。 位置は北緯31.5842度、東経130.5515度付近。現地では周囲の道路や橋を目印に訪れたい。
参考資料:甲突川左岸緑地に関する公開資料(資料をもとに当サイトが作成)
甲突川左岸の下流側に続く河畔緑地。上流側の「維新ふるさとの道」と一体で川沿いの散策空間をつくり、対岸の緑地や橋を望める。 位置は北緯31.5794度、東経130.5574度付近。現地では周囲の道路や橋を目印に訪れたい。
白玉豊受稲荷神社は、鹿児島市南林寺町26番にある小さな稲荷社。地図サービスでは「白玉豊受稲荷大神社」の名でも掲載され、いづろ通電停から徒歩約8分の場所にある。南林寺町の住宅や寺院が集まる一角に鎮座し、食物をつかさどる豊受大神への信仰と稲荷信仰を伝える地域の社である。
薩摩藩士・益満行靖が生まれた地を示す碑。戊辰戦争期に活動し、明治6年(1873)にはドイツへ兵制研究のため派遣されたが、志半ばで病没した。近くに並ぶ加治屋町・高麗町の人物碑とともに明治初期の人材育成を物語る。
下荒田一丁目の街角に立つ石敢當。石敢當は中国に起源を持ち、道の突き当たりなどに置いて魔物の侵入を防ぐとされる石の守りである。沖縄や鹿児島に多く残り、この石も南九州と琉球に共通する民間信仰が鹿児島市街地に伝わったことを示している。
石橋記念公園(いしばしきねんこうえん)は、鹿児島県鹿児島市浜町にある都市公園。江戸時代後期、島津重豪の命により市内を流れる甲突川(こうつきがわ)にかけられた5つの石橋のうち3つを移設した公園とその博物館から成り立っている。
説明の出典:石橋記念公園 · 日本語Wikipedia執筆者 · CC BY-SA 4.0(抜粋・短縮)
日本たばこ産業(株)跡地
高麗町の鹿児島興正寺別院は、京都の興正寺を本山とする真宗興正派の別院。本山の案内によると、戦後の市内区画整備に伴い1947年に長田町から現在地へ移り、1952年に本堂が完成した。薩摩で長く続いた浄土真宗禁制が解けた後の信仰を受け継ぐ、地域の拠点である。
島津家19代当主・光久が船出と航海の安全を願って建てた神社。もとは春日神社のそばにあったが、稲荷川の川底が浅くなったため船手とともに新屋敷へ移され、この一帯は「武村船手」と呼ばれた。
参考資料:鹿児島市史跡めぐりガイドブック中央地区PDF 47頁(資料をもとに当サイトが作成)
鹿児島五社の第五に数えられる若宮神社。城下の上町一帯に残る島津氏ゆかりの神社の一つで、第一の南方神社、第二の八坂神社などと合わせて参拝路をたどれる。神社の序列は鹿児島城下の信仰の歴史を伝えている。
参考資料:鹿児島の史跡めぐり資料(資料をもとに当サイトが作成)
鹿児島市上之園町にある荒田八幡宮の随神
説明の出典:荒田八幡宮北随神 · Wikidata · CC0(抜粋・短縮)
鹿児島市下荒田二丁目にある荒田八幡宮の随神
説明の出典:荒田八幡宮東随神 · Wikidata · CC0(抜粋・短縮)
下荒田の大楠に囲まれた神社。平安時代末ごろ、現在の鹿児島神宮の分社として建てられたと伝わる。応神天皇・神功皇后・玉依姫を祭り、産土神として信仰されてきた。安産やマムシよけの祈願でも知られ、境内には田の神もある。
荒田公園は、鹿児島市荒田の住宅や学校が集まる地区の公園。現地訪問の紹介には、小さな子ども向けの複合遊具が写されている。荒田小学校の校区案内でも、甲南公園や気象台公園などとともに、子どもの安全な遊び場、地域住民の憩いの場所として挙げられている。
薩摩藩主・島津重豪が1779年に築いた天文観測施設「明時館」にちなむ説明地点。重豪は天文学を暦の作成に生かし、藩の教育や医学にも力を入れた。現在の繁華街「天文館」の名はこの施設に由来する。
城山町に建つ、宝暦治水で亡くなった薩摩藩士を弔う薩摩義士碑。薩摩藩は1753年に幕府から木曽三川の治水工事を命じられ、難工事に多くの藩士が携わった。家老の平田靱負らの犠牲を顕彰するため、1920年に供養塔として建てられた。現在も岐阜県の治水ゆかりの地域との交流につながっている。
参考資料:史跡・観光スポット個別解説(資料をもとに当サイトが作成)
西南戦争で政府軍の本営が置かれた場所を示す碑。1877年、現在の鹿児島市役所本館付近には藩の米などを貯蔵した石蔵があり、官軍がこれを拠点とした。戦後は授産学校や工場を経て、1937年に市役所本館が建った。
本願寺鹿児島別院(ほんがんじかごしまべついん)は、鹿児島県鹿児島市東千石町にある浄土真宗本願寺派の直属寺院(別院)である。
説明の出典:本願寺鹿児島別院 · 日本語Wikipedia執筆者 · CC BY-SA 4.0(抜粋・短縮)
鹿児島市の武地区にある本願寺鹿児島別院の出張所。浄土真宗本願寺派の地域拠点として門徒の法要や集まりに用いられる。薩摩では1876年に念仏禁制が解かれ、その後に別院を中心とする出張所網が広がった。
鹿児島県鹿児島中央駅近くにある西郷南洲翁宅地跡の碑。西郷隆盛が江戸で働いていた1855年、生活に困った西郷家が加治屋町の家を手放して移り住んだ場所。1865年に坂本龍馬が鹿児島を訪れた際、一泊したという逸話も伝わる。西郷家の暮らしと幕末の交流を思い起こさせる史跡。
西郷隆盛の終焉から百年を記念して建てられた碑。西郷は1877年の西南戦争で城山を最後の拠点とし、9月24日に生涯を終えた。近くの西郷洞窟、薩軍本営跡、終焉の地と一緒に巡ると戦いの最終局面をたどれる。
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