埼玉県 / AREA GUIDE
蔵造りの建物が続く一番街と、喜多院などの寺社。商いの町と信仰の場を結んで川越を巡れます。
写真や説明を読み、気になる場所を選んでみましょう。
中心から約1.8kmを目安にした周辺検索エリアです。正式な地域境界や徒歩圏を示すものではありません。
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歴史・文化
喜多院の庫裏は、拝観者を迎える入口にもなっている国の重要文化財です。客殿や書院と同じく江戸城紅葉山の別殿を移築した建物で、渡り廊下によって両者とつながっています。庫裏という名称だけでは寺の台所や生活の場を想像しがちですが、ここでは江戸城ゆかりの建築を見学する起点としても大切な場所です。建物は母屋、食堂、玄関、広間などか…
参考資料:庫裏(資料をもとに当サイトが作成)
芸術・学び
復原展示室は、川越市の文化創造施設「コエトコ」に設けられた、歴史的建物の内部を見学できる展示エリアです。コエトコは旧川越織物市場と旧栄養食配給所を復原・活用し、令和6年(2024)に開かれました。建物を外側から保存するだけでなく、展示、創業支援、交流という用途を組み合わせて使い続ける施設です。復原展示室では、文化財とし…
参考資料:広報川越・コエトコの3つのエリア(資料をもとに当サイトが作成)
その他
徳川家光公誕生の間は、喜多院の客殿にある、家光の誕生に関わる部屋として伝えられる空間です。客殿は寛永15年(1638)の川越大火の後、江戸城の御殿から移されました。上段の間は12畳半で、床の間や違い棚を備え、襖や壁には墨の山水画、天井には花を描いた絵が配されています。独立した建物ではなく、客殿の内部にある部屋です。見学…
参考資料:客殿(資料をもとに当サイトが作成)
喜多院の慈恵堂は、慈恵大師良源をまつるお堂で、慈恵大師堂、大師堂、潮音殿とも呼ばれています。現在は喜多院の本堂として使われ、中央に慈恵大師、左右に不動明王を安置し、不動護摩が営まれています。建物は寛永十五年の川越大火の翌年、1639年に再建されました。近世初期の天台宗本堂の姿を伝える建築として、埼玉県の有形文化財に指定…
参考資料:慈恵大師堂(通称本堂)(資料をもとに当サイトが作成)
喜多院の慈眼堂は、慈眼大師の名で知られる天海僧正をまつる国の重要文化財です。天海が1643年に寛永寺で亡くなった後、三代将軍徳川家光の命によって1645年に建てられました。堂内には厨子に納められた天海の木像が安置されています。天海は喜多院の歴史と徳川家とのつながりを考えるうえで欠かせない僧侶で、このお堂はその記憶を伝え…
参考資料:慈眼堂(資料をもとに当サイトが作成)
懐中石は、元町2丁目の六塚稲荷神社に置かれた力石です。川越市の解説では、人手を頼む際に働き手の力量を確かめるために使われたと伝えられています。力石は、石を持ち上げて力を競ったり、一人前の働き手と認められたりした昔の暮らしに関わる道具で、石仏とは役割が異なります。この石の表面には「懐中石」の文字が刻まれています。目立つ建…
参考資料:力自慢たちのモニュメント(資料をもとに当サイトが作成)
改築落成之碑は元町の六塚稲荷神社近くに立つ改築の完成を記す碑。社殿や周辺施設が地域の人によって整えられたことを伝える記念物と考えられ、建物そのものとは別の登録である。何を改築したか、寄進者と年月は碑面の刻字から確かめたい。狭い参道や民家の前では通行に配慮したい。
参考資料:城下町・川越歴史めぐり(資料をもとに当サイトが作成)
新河岸川起点の石碑は川越市街を流れる新河岸川の起点を示す石碑。江戸時代に舟運で川越と江戸を結んだ川の上流側を意識でき、蔵造りの商業都市が水運と結び付いていたことを考えるきっかけになる。水路そのものと碑は別の対象で、碑文から設置理由を確かめたい。川岸では足元に注意する。
参考資料:川越市歴史的風致維持向上計画(資料をもとに当サイトが作成)
自然
旧山崎家別邸は、川越の老舗菓子店・亀屋の5代目、山崎嘉七の隠居所として建てられた住宅です。設計は建築家の保岡勝也が手がけ、和風の住空間に洋風の意匠を取り入れています。特徴の一つがステンドグラスで、泰山木や鳥、水辺の植物などを題材にした装飾があり、アール・ヌーヴォーの影響を見ることができます。約2,300平方メートルの敷…
参考資料:旧山崎家別邸(資料をもとに当サイトが作成)
旧栄養食配給所は、昭和初期の働く人々への食事供給を伝える川越市指定有形文化財です。昭和9年(1934)に開業し、昭和20年(1945)まで営業しました。建物は一度に造られたものではなく、住まい、事務所、作業場が増改築を重ねてつながっています。事務所は明治43年(1910)の織物市場開設時の建物をもとに改造され、北側の作…
参考資料:旧栄養食配給所(資料をもとに当サイトが作成)
旧江戸町は、川越から江戸へ向かう道の起点に関わる旧町名です。川越市の歴史的な町並みの案内では、江戸道の起点と旧江戸町が紹介されています。現在の地図にある町名だけでは分からない、城下町の道筋や町の役割を知るためのスポットです。建物内部を見学する施設ではなく、旧町名を手がかりに街路をたどる場所として、周辺の川越城跡や商家の…
参考資料:川越百景・江戸道の起点と旧江戸町(資料をもとに当サイトが作成)
春日局化粧の間は、喜多院の書院にあり、徳川家光の乳母・春日局が使ったと伝えられる部屋です。書院は川越大火後の復興に際して江戸城から移された建物で、客殿とともに徳川家との関係を伝えています。8畳と12畳の部屋を備えた建物の一部であり、「化粧の間」という名称の独立した堂宇ではありません。客殿の家光公誕生の間と合わせて見ると…
参考資料:書院(資料をもとに当サイトが作成)
喜多院の書院は、客殿に続く国の重要文化財で、江戸城紅葉山の別殿を移築した建物です。江戸城にあった時代、徳川家光の乳母である春日局が使ったとされる部屋を含み、「春日局化粧の間」の名でも知られています。外観は寄棟造りのこけら葺きで、客殿とは屋根の形が異なります。建物は桁行六間、梁間五間の規模をもち、八畳と十二畳の部屋が各二…
参考資料:書院(春日局化粧の間)(資料をもとに当サイトが作成)
服部民俗資料館は、川越の商家の暮らしと商いに使われた品々を紹介する資料館です。この地図では「服部民族資料館」の名称で登録されていますが、観光協会の案内にある表記は「服部民俗資料館」です。幸町6-8にあり、建物は明治26年(1893)の川越大火後に建てられた商家で、川越市の指定を受けています。履物や傘、薬などを扱った家に…
参考資料:服部民俗資料館(資料をもとに当サイトが作成)
本応寺(ほんのうじ)は、埼玉県川越市石原町にある日蓮宗の寺院。山号は長久山。市内下広谷には別院もある。旧本山は総本山甲斐の身延山久遠寺、潮師法縁。境内には高山繁文(俳人、川越城主秋元喬知の家臣)の墓所がある(埼玉県指定旧跡)。
説明の出典:本応寺 (川越市) · 日本語Wikipedia執筆者 · CC BY-SA 4.0(抜粋・短縮)
本町稲荷神社は川越市元町にある稲荷神社。蔵造りの一番街に近く、商家や町内の人々が守ってきた小さな参拝地点である。隣の神祠一新記の碑は祠の整備の記録を示し、社と碑を合わせて見ると地域の継承が分かる。他の稲荷社と取り違えず、境内の案内を読んで参拝したい。
本種寺は川越市野田町にある寺院。野田神社に近い住宅地の中で、中心街の古刹とは別に地域の仏教信仰を支える。蔵造りの一番街から西へ歩くと、観光商店街の外にも町の歴史が続くことが分かる。宗派と創建の由来、参拝可能な範囲は寺の現地案内を確認したい。
参考資料:川越市文化財保存活用地域計画(資料をもとに当サイトが作成)
本阿弥稲荷は、川越熊野神社から離れた場所に祀られている境外社です。熊野神社を紹介する取材記事では、7月の第1日曜日に「御太刀洗い」の行事を行う場所として説明されています。熊野神社の境内にある稲荷とは別の地点で、町中に分かれて残る信仰のつながりを知る手がかりとなります。行事の実施日や参拝方法は、その年の神社の案内を確認し…
参考資料:川越熊野神社の取材記事・本阿弥稲荷神社(資料をもとに当サイトが作成)
松郷沿革之記は、川越に組み込まれた松郷の名と歴史を後世へ伝えるための記念碑です。『川越市沿革史概要』に収められた碑文では、明治22年(1889)の制度変更によって松郷の名が失われることを惜しみ、旧来の区域、寺社、学校、川や池などを記録した経緯が述べられています。文章は同年11月のもので、川越町長の岡田秋業が稿を作り、利…
参考資料:川越市沿革史概要・松郷沿革記(資料をもとに当サイトが作成)
栄林寺は川越市末広町にある寺院。広済寺や十念寺とともに城下町北西部の古刹を巡る散策路の一つで、観光商店街から離れた寺社の集まりを知ることができる。城下町の形成に伴って寺院の位置が変わった歴史もある。宗派と建物の公開は境内の掲示を確認したい。
参考資料:城下町北西部の古刹・七カ寺をめぐる(資料をもとに当サイトが作成)
歴代住職墓所は、喜多院の慈眼堂の裏手にある、歴代の住職を伝える墓碑の場所です。天海の墓碑や中世の板碑などとともに紹介されており、寺を支えた僧侶たちの歩みをしのぶ一角です。墓所のため、拝観施設とは異なる静かな場所として、現地の案内に従ってください。
参考資料:喜多院の関連施設(住職取材協力)(資料をもとに当サイトが作成)
民部稲荷は、丸広百貨店川越店の屋上「トキポイント」に祀られている稲荷です。百貨店の公式案内では、足腰の健康を願う信仰の場として紹介されています。同名の民部稲荷神社が川越八幡宮の境内にもありますが、このピンは百貨店の屋上側を示しています。芝生のある屋上の休憩スペースとともに案内され、商業施設の中に信仰の場所がある川越の一…
参考資料:屋上トキポイントのご案内(資料をもとに当サイトが作成)
民部稲荷神社は、川越八幡宮境内に祀られた、相撲稲荷とも呼ばれる稲荷です。祭神は倉稲魂命で、足腰に関わる信仰で知られています。神社には、民部と名乗る老狐が僧に捻挫や打ち身の手当てを教えたという伝説が伝わっています。こうした物語を背景に地域で親しまれてきた境内社です。足腰の健康への願いは信仰としてのもので、医療的な効果を保…
参考資料:(資料をもとに当サイトが作成)
氷川桜パークは川越氷川神社の北東、新河岸川に近い小公園。春には川沿いの桜を眺める散策の休憩地点となり、神社の境内とは異なる水辺の景色を楽しめる。桜の開花や夜間の照明は年によって変わるため、現地の案内を確認したい。住宅地に接するため静かに利用する。
参考資料:川越氷川神社(資料をもとに当サイトが作成)
江戸城の遺構は、喜多院に残る江戸城ゆかりの建物を伝えるスポットです。寛永15年(1638)の川越大火後、徳川家光の命により江戸城から客殿や書院などが移され、寺の復興に使われました。客殿には家光公誕生の間、書院には春日局化粧の間と伝えられる部屋があります。このピンは独立した城郭施設を示すのではなく、喜多院の建物と江戸城の…
参考資料:喜多院の創建と歴史(資料をもとに当サイトが作成)
浮島公園は、川越市久保町にある、水辺と木々のある街区公園です。国土交通省の環境調査資料でも、池や樹林地を備え、草木と水辺に触れながら散策できる場所として紹介されています。桜や新緑の季節も挙げられており、市街地を歩く途中で季節の変化に目を向けられる場所です。川越市の公園資料では久保町17-1に位置し、昭和59年(1984…
参考資料:自然とのふれあいの場一覧・浮島公園(資料をもとに当サイトが作成)
浮島稲荷神社は川越市久保町にある稲荷神社。喜多院周辺の歴史散策路に近く、城下町の寺社が集まる地域で守られてきた小社である。元町の六塚稲荷や松江町の出世稲荷とは別の参拝地点として訪れたい。社の由緒と祭礼は境内の表示を確かめる。
参考資料:喜多院(資料をもとに当サイトが作成)
濯紫公園は、川越市喜多町の新河岸川沿いにある公園です。かつての庭園「濯紫園」にちなむ名を残し、現在は起伏のある敷地に遊具や藤棚、ベンチなどが設けられています。川越市の紹介では川沿いの歩道ともつながる場所として案内され、街中の散策に水辺の風景を加えられます。歴史的な町並みから少し視点を変え、川と市街地の関係を感じながら休…
参考資料:濯紫公園(資料をもとに当サイトが作成)
熊野神社は今成地区にある熊野神社。蔵造りの町並み近くの川越熊野神社とは離れた住宅地の社で、同名でも別の地域の参拝先である。周囲には新河岸川や寺院があり、川越の中心街だけでは分からない地域の信仰に触れられる。祭神や祭礼の詳細は境内の掲示を確認したい。
珈琲稲荷神社は、川越市仲町の珈琲焙煎所Monに隣接して祀られている小さな稲荷です。店主の紹介によると、店の隣の土地には以前も稲荷があり、土地を取得した後に再建を考えるようになりました。「珈琲稲荷」という名は宮司とのやり取りから生まれ、令和4年(2022)2月22日に再建したと記されています。古くから同じ形で残る社殿とい…
参考資料:珈琲稲荷物語・看板を設置しました(資料をもとに当サイトが作成)
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