鹿児島県 / AREA GUIDE

鹿児島・城山周辺

照国神社から海辺の公園や水族館へ。城山周辺と鹿児島中心部の歴史・景観を組み合わせられます。

歴史・文化街歩き
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エリア内の観光スポット

写真や説明を読み、気になる場所を選んでみましょう。

中心から約2.5kmを目安にした周辺検索エリアです。正式な地域境界や徒歩圏を示すものではありません。

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イギリス鑑、鹿児島湾に現る

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歴史・文化

1863年の薩英戦争でイギリス艦隊が鹿児島湾に現れた場面を伝える時標。薩摩藩の若者だった大山巌、西郷従道、山本権兵衛らが知らせを聞いて海辺へ向かったという。街角の像から幕末の対外危機を追体験できる。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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ウィリス、高木に西洋医学を説く

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歴史・文化

鹿児島医学校で英国人医師ウィリアム・ウィリスが若き高木兼寛に西洋医学を教える場面を表した像。高木は後に海軍軍医となり、食事の改善による脚気予防を進めた。近代日本の医学教育が鹿児島でも育まれたことを伝える。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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おはら節発祥の地

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歴史・文化

鹿児島を代表する民謡「おはら節」の発祥を伝える碑。曲名は原良という地名にちなむとされ、原良第二公園に記念像が建てられている。おはら節は鹿児島市のおはら祭でも踊られ、土地の名と唄が結びついた文化を伝える。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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かけごし公園

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自然

かけごし公園は、鹿児島市の薬師・原良に近い住宅地の街区公園。公園の芝生施工実績資料には、2013年1月に約1,460平方メートルの広場を整備した記録がある。近くには新上公園や原良第一公園もあり、子どもの遊びや町内の散歩に使える緑地の一つとなっている。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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かんまちあ

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自然

鹿児島駅近くの上町ふれあい広場。2016年に開設され、天然芝の公園と屋外イベント広場、屋根付きの広場を備える。公園には桜島溶岩を使った休憩所や年齢別の複合遊具があり、降灰を気にせず使える屋根付き空間も地域の交流を支える。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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ザビエルと薩摩人の像

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歴史・文化

1549年に鹿児島へ渡ったザビエルと、彼を日本へ案内した薩摩出身のヤジロウ、初期の信徒ベルナルドを表す像。ヤジロウは海外でザビエルと出会い、鹿児島での布教を助けた。三人の姿が日本へのキリスト教伝来を伝える。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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ザビエル上陸記念碑

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歴史・文化

祇園之洲公園にあるフランシスコ・ザビエル上陸の記念碑。1549年に鹿児島へ来たザビエルが日本でキリスト教の布教を始めたことを記念する。碑は錦江湾に面した公園の一角に立ち、海を渡って来日した人物の足跡を示している。城山や市街地の史跡とともに、鹿児島の対外交流史を知る手掛かりとなる。

参考資料:史跡・観光スポット個別解説(資料をもとに当サイトが作成)

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ザビエル像

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歴史・文化

錦江湾に面する祇園之洲に立つフランシスコ・ザビエルの像。ザビエルは1549年に鹿児島へ上陸し、日本でキリスト教の布教を始めた。近くの上陸記念碑や薩英戦争の砲台跡とともに、港を通じた海外との接点を伝える。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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ザビエル胸像

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歴史・文化

フランシスコ・ザビエルをたたえるザビエル公園の胸像。ザビエルは鹿児島出身のヤジロウの案内で1549年に来航し、日本でキリスト教を伝え始めた。近くにはザビエルと薩摩人の像、旧教会の石壁を使った記念碑もある。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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たてばばちびっこ広場

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自然

たてばばちびっこ広場は、鹿児島市大竜町に設けられた子どもの遊び場。市の一覧では中央地域の「ちびっこ広場」の一つとして掲載される。この制度は低学年以下の路上遊びを防ぐため地域の申請で設けられ、市が遊具やフェンスの整備を、町内会などが清掃・除草を担う。地域の見守りとともに使われる小さな広場である。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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ドン広場

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街並み・景観

城山公園内のドン広場は、城山の旧城郭跡に設けられた広場。市の文化財調査報告では、周囲に高さ数メートルの土塁が残り、かつての城の地形をたどれるとされる。西南戦争では西郷軍の本営が置かれた地点としても知られ、自然遊歩道の散策とあわせて中世の城と近代の戦いの痕跡に触れられる。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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なかよし

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歴史・文化

「なかよし」は、鹿児島市中心部の公園に近い地点にある石碑。現地地図には石材の記念碑として登録され、碑面の文字も「なかよし」と記録されている。子どもや地域の人が目にする短い言葉を石に刻んだもので、周囲の街路に置かれた人物碑や旧地名の碑とは趣旨が異なる。建立者や年代は確認できていない。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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ニ松学舎跡碑

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歴史・文化

明治初期に加治屋町周辺で設けられた二松学舎の跡を示す碑。碑文によれば、学習・武道・詩吟・示現流を通して心身を鍛え、先輩が後輩を教える薩摩の郷中教育を継承した。碑は2010年に有志によって建てられ、甲突川沿いに残る教育の歴史を伝える。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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みなと大通り公園

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自然

鹿児島市役所から海岸通り方面へ延びる帯状の都市公園。芝生と樹木が街路に沿って続き、冬季にはイルミネーションの会場にもなる中心市街地の散策路。 位置は北緯31.5961度、東経130.5588度付近。現地では周囲の道路や橋を目印に訪れたい。

参考資料:みなと大通り公園に関する公開資料(資料をもとに当サイトが作成)

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みなと大通り公園

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自然

市役所と海岸通りを結ぶ「みなと大通り公園」の東側区間。道路の中央を芝生や樹木が連続し、歩いて港方面へ向かえる緑の軸となっている。冬はイルミネーションでも知られる。 位置は北緯31.5957度、東経130.5597度付近。現地では周囲の道路や橋を目印に訪れたい。

参考資料:みなと大通り公園に関する公開資料(資料をもとに当サイトが作成)

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ライオンズ広場

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自然

甲突川左岸のライオンズ広場は、高見橋近くに広がる川沿いの市民空間。大久保利通像が建つ場所として知られ、市の記録には1979年の銅像除幕式がここで行われたことが残る。春秋の木市や地域行事の会場にもなり、河畔の桜並木を歩きながら休憩できる。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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ライオンズ広場碑

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歴史・文化

甲突川左岸のライオンズ広場に立つ広場名の碑。広場は大久保利通の銅像が建つ一帯にあり、市の歴史的公文書によると、1979年9月に大久保像の除幕式がここで開かれた。高見橋近くの川沿いを歩くと、像とともに近代鹿児島の顕彰事業や市民の集う場所の歴史に触れられる。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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ライオン像

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歴史・文化

甲突川左岸のライオンズ広場に立つライオンの彫刻。ライオンズクラブ国際協会の記念事業で1978年4月30日に設置され、北村誠一が制作した。近くには大久保利通像や高見橋があり、川沿いの彫刻をたどる散策の目印になっている。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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三官橋通

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歴史・文化

鹿児島城下に残る「三官橋通」の旧名を示す銘碑。島津家に仕えた中国出身の医師・沈一貫にちなみ、近くの清滝川の橋は一貫橋、二貫橋、三貫橋と呼ばれた。「貫」が「官」に変わって通りの名になったという。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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上之馬場

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歴史・文化

鹿児島城下の上之馬場の名を残す石碑。市の南洲門前通り景観計画では、大龍寺馬場や竪馬場などと並ぶ、上町地区の歴史を伝える通りとして挙げられる。近くには武家屋敷の石垣や寺社の名残があり、城下町の街路構成を歩きながら感じられる。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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上本町公園

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自然

上本町1丁目の上本町公園は、鹿児島市の資料では1952年4月開設の街区公園で、開設面積は約0.31ヘクタール。子ども向けの遊具のほか健康器具が置かれ、地域の遊び場と散歩・軽い運動の場を兼ねる。名山町や小川町にも近い旧市街地の中で、比較的広い緑の空間を確保している。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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中之馬場

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歴史・文化

中之馬場は、鹿児島市の旧い道の名を示す石碑。現地地図には「なかんばあ」という鹿児島の言葉による読みが記録され、西田・薬師地区に近い街路上に立つ。薩摩の城下では「馬場」と呼ばれる道が各所にあり、この碑も町が現在の住居表示になる前の道筋を思い出させる。住宅地の散策で旧地名をたどる目印である。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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中央公園

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自然

鹿児島市役所や西郷隆盛銅像に近い山下町の都市公園。芝生広場や彫刻、壁泉、時計塔などが設けられ、市街地で散策や休憩ができる緑の空間となっている。 位置は北緯31.5941度、東経130.5538度付近。現地では周囲の道路や橋を目印に訪れたい。

参考資料:中央公園に関する公開資料(資料をもとに当サイトが作成)

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中平公園

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自然

中平公園は鹿児島市明和4丁目の住宅地にある公園。周辺施設の案内では、トイレ、広場、遊具、東屋を備えると紹介されている。明和小学校から歩ける高台の地区にあり、子どもが遊ぶほか、東屋で休憩しながら近所の人が集まれる。桜島を望む住宅地の散歩コースにも近い。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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丹下ウメ博士像

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歴史・文化

鹿児島出身の化学者・丹下梅子を顕彰する像。丹下は海外で学び、乳児の栄養とビタミンに関する研究に取り組んだ。私財を化学研究の奨励金に充てるなど、女性研究者の先駆けとして科学の発展に貢献した。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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二官橋通

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歴史・文化

鹿児島城下の「二官橋通」という古い道の名を示す銘碑。島津家に仕えた中国出身の医師・沈一貫にちなみ、清滝川に一貫橋、二貫橋、三貫橋が架けられたと伝わる。後に「貫」が「官」に変わり、橋の名が通りにも残った。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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二本松馬場

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歴史・文化

鹿児島城下の二本松馬場という旧通り名を伝える地点。馬場は武士の住まいや稽古の場が集まった城下の道筋で、現代の市街地にもその名が銘碑として残る。近くの小路名の碑と歩くと町の区画を読み取れる。

参考資料:鹿児島の史跡めぐり資料(資料をもとに当サイトが作成)

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二本松馬場

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歴史・文化

旧城下町の通り名「二本松馬場」を記した別の銘碑。かつて道の先に大きな松が二本見えたことから、その名が付いたと伝わる。現在も天文館の通り名に残り、昔の景色が人々の道の呼び方に結び付いたことを示す。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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五代友厚像

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歴史・文化

鹿児島県鹿児島市泉町に立つ実業家・五代友厚の銅像。五代は薩摩藩出身で、明治期に大阪商法会議所の設立と初代会頭を務めるなど商工業の発展に尽くした。銅像は坂上政克によって1961年に制作され、1981年に現在地へ移された。鹿児島と大阪の近代産業史を結ぶ人物を記念する。

参考資料:史跡・観光スポット個別解説(資料をもとに当サイトが作成)

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伊地知、吉井、政変について語る

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歴史・文化

幕末の薩摩藩士、伊地知正治と吉井友実が政変を論じ合う姿を表した時標の像。1860年の桜田門外の変で幕府の権威が揺らぐ中、藩の改革派は今後の政治を議論した。中央公園で維新前夜の緊迫した空気を伝えている。

参考資料:地点ごとの調査資料(資料をもとに当サイトが作成)

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